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―本堂保存修復工事工程報告―

明応の昔、綽如(しゃくにょ)上人様がこの寺を中心に、本願寺の念仏のみ教えを、もっと北陸の人々にも広めたいと云う、尊いお心からつくられた寺で、反古裏書(ほごうらがき)と云う古い書にも、そのため寺は、加賀の本願寺の全寺院は、「超勝寺の与力とする」、即ち「超勝寺の力になる様に」定められたのでした。誠に尊い使命を負うた(法燈が点ぜられた)寺がつくられたものです。文明の頃、蓮如上人様が吉崎御坊より、一時この寺に法難をさけられ、また加賀本蓮寺より迎えた内室の早世をあわれに思われ、上人は我が御子蓮周姫を、その後に入れられて寺の苦難を救われました。昭和の初年、壬生照弘様が住職となられるまでは、当寺は別格別院として本願寺御門主勝如上人様が、住職をご兼務下さいましたなど、開創以来、この寺の尊い使命伝持に本願寺は、お力添えを賜り、寺も門徒もその様な使命をもつ寺の護持には、格別の力を務めてきたのでした。

ところで、昭和23年6月28日、突如として大地震に襲われ、寺は本堂のみを残して諸堂は悉く倒壊した。この本堂とても倒壊寸前の状態でした。被害は余りにも甚大で、復旧の策を立てるすべもない状態でした。しかも門信徒の大部分も被災したので、倒壊寸前の本堂は、急ぎ応急措置をして、他の諸堂は廃材をつくろって、小屋掛け同然の建物をつくり、そこで寺を護ろうと云うことにしたのでした。でも、寺の護持にもゆる門信徒の一念は、昭和40年、鉄筋2階建ての門信徒会館、表御門、御成御門を、翌41年には納骨堂を、42年には寺務所及びバラック建の庫裡を新築し、44年、土蔵を、54年には客殿及び寺族方の住宅を新築し、平成2年から3年にかけて、寺の管理棟及び本格的工事による庫裡を新築することが出来ました。全く尊い使命を負う寺を護持する念のあらわれが、この様な復興をさせたのでした。

(1)甚大な被害

震災により本堂は、西方(後方)に傾いて倒壊寸前の状態でした。そこで藤島の業者に依頼して、業者が中心となり門信徒も手伝ってこれを起し、穴の大きくなったところへ、クサビを打ち込んで、もとへ戻らなぬ様に応急措置をし、今迄同様に寺役にも使ってきました。それから十数年経た頃から、各柱が次第に、別々の方向へ少しづつ傾きはじめたので、今度は鉄筋で、各柱を緊結して柱の狂いを直し、また屋根瓦の割れたものを取換えましたが、建物の基礎、柱梁の軸組、大屋根の小屋組などの、本格的な修理をしないまゝ、今日まで必要に追われて使ってきました。

前住職の壬生照弘様は「本堂の修理は大工事になるから、被災した門信徒の力がつくまで待つ他はない」とのお考えから、今日まで延びた訳ですが、以来50余年、漸くその時期を迎えたのでした。

(2)工事の推進

平成9年9月23日、住宅建築の老舗松井建設に本堂の老朽化、耐震性等について調査を依頼した結果、10年9月20日、柱の傾斜、床の沈下不同などかなりあるとのことで、早急に対策を立てることになりました。
 そこで総代会等に報告、検討して、11年3月22日、正副会長、各部長、総代会代表を以て本堂修理特別委員会を設置し、続いて3月21日門信徒総会を開いて、2億3000万円の1戸当たり13万円以上のご懇志の進納を経て、速やかに事業にとりかゝる承認を得ました。

中核となって推進をはかる特別委員会と、地域の実情に即して推進をはかる推進委員会(門信徒会役員・道場世話方)をつくり、特に道場、世話方は、門信徒の方々にご理解をいただく様に努めると共に、ご懇志のお願いについて特別のお骨折りを仰ぐこととし、寺総代は参与として重要事項について住職をおたすけすることにしました。

平成11年3月19日、高木建築設計事務所と設計管理業務委託契約書をかわし、4月30日、設計書の中間検討、基礎部分、補強部分の設計変更関連工事の追加を指示しました。

6月20日、工事指名願が出ている7社に設計図の説明、6月28日現場説明参加者により入札の結果、飛島建設KKに工事費1億8000万円(含消費税)で落札、7月1日工事契約を同社とかわした。

7月1日、本堂内で大工事が行われるので、本尊のご移動を願うことになって、丁寧に法要を営む。ご本尊はご宮殿、須弥壇と共に京都の若林仏具製作所へ、お移しし、こゝで仏具等と共に、2390万余円で、ご修理をすることとした。
 法要は、参与、修理特別委員、推進委員等260余名が参列し、事業概要の説明後法要を丁重に行いました。寺ではご本尊の遷仏法要は、工事の起工式とともに解します。




本堂の工事と共に仏壇、仏具の修復も行います。京都の若林仏具製作所の他、県内のかじそ仏壇、サワサキ仏壇も加わり、後者2業者は内陣、外陣、余間の金箔、漆の塗り直し等を行うことになり、3090万円で契約しました。

7月12日、この日より仮設道路、鉄板敷き等の仮設工事から始め、8月に入ってから本堂の縁板解体、仮設足場工事を行う。また大屋根を覆う素屋根をつくるなど、本格工事がはじまる。

京都大学 西澤先生、建築研究協会日本建築研究室 大沼先生のご指導により、設計見直しと検討の結果、10月7日飛島建設との間に工事請負契約変更書をかわし、請負契約は3465万円の減額、262万5000円の増額に改める







12月27日、飛島建設に対し、本堂修復工事中間金8316万円を支払う。また追加工事として西側犬走改修として3911万余円、耐風梁板取付け、北面添柱、四面タルキ塞ぎ等の諸工事費300万円も追加承認した。

8月2日、この日の屋根の下見をはじめ、工事現場査察を数回行う。屋根の下見では葺瓦の下地等に、裏板の上に葺かれている「こば板」の固定に、油でいためた竹釘が使わえていたので、新築当時同様によく保存され、整然としていた。もしこれが鉄釘であると、赤く腐食し、板はばらばらに四散していたに違いないと思うと、先人のこの寺に対する態度には、頭の下がる思いがした。この寺が特別な使命を負っている寺として、寺の護持に強く感じていたからであろう。なお竹釘は鉄釘に比し、比較にならなぬ労力が必要である。

屋根、野地板、瓦棧、棟の改修工事は10月に入る頃よりはじまり、瓦葺きも行われた。11月になると鬼、懸魚銅板の打出し、大棟瓦取付等、冬になる前に大屋根の工事は大体終わった。
今度の工事は震災の復旧にあるのにかんがみ、小屋組の補強ための筋交い取付けをはじめ、柱根の基礎補強工事、基石取換え、一部板巻き工事等、補強工事については、特に力を注ぎました。

内陣、余間、後堂の縁板張りをはじめ、内陣、外陣、余間の長押、鴨居の金箔仕上げ、仏具の修理なども、本堂の改修と共に行いました。
以上の様な建築本体工事の他、電気設備工事、給排水設備工事、外構工事、解体工事、付帯工事も行い、面目を一新して仕上がりました。

平成12年6月17日、工事が竣工しましたので、その検査を行いました。

この度の工事については、修理特別委員会では、念仏道場としてのお寺発展と、門信徒各位のお心をもとに、平成11年3月4日以来、竣工をみるまで前後20回の委員会をもち、また総大会、門信徒役員会とも、必要に応じ合同の会合をもちまして、種々の問題を検討し、工事の推進に努めてきました。役員、道場世話方の特別なお骨折りと、門信徒各位の深いご理解と篤い信仰心により、ご懇志なども特段のご協力を賜りましたので、工事は立派に竣工をみることが出来ましたことは、本当に有難いことでした。
立派に竣工をみたのも各位のお心の底に、「お寺は、真にお念仏の道場として、護持しなければならない」と云う尊いお心があったからであろうと存じます。この寺が真宗念仏の道場として、発展することを念じますと共に、こゝに衷心よりお礼申し上げ、工事工程の報告といたします。

蓮如上人5百回遠忌法要・本堂保存修復特別委員会


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