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  龍谷大学大学院(仏教学専攻)
            若院 壬生 泰紀



 讃仏偈(さんぶつげ)」というお経をご存知でしょうか。みなさまも「光顔巍巍(こうげんぎ)…」という出だしのお経をおつとめされたことがあると思います。それが「讃仏偈」であります。「讃仏偈」は浄土真宗のおつとめでよく用いられ、超勝寺でもこの寺報が発行されるお盆の時期に「讃仏偈」を墓前で読んでおります。  
 「偈」は、「讃歌」という意味のインドの言葉(梵語)「ガーター」を中国語に翻訳したものであります。いわゆる「韻文」(韻律や字数などが整えられた文章)とよく似ており、「散文」(普通の文章)と異なって、唱えやすく、覚えやすいものであります。浄土真宗のなかで最も肝要な経典『仏説無量寿経(大経)』は主に散文で説かれたものでありますが、そのなかにいくつかの偈が見られます。その一つが「讃仏偈」です。仏教が誕生したインドでも偈の形式で説かれており、この偈は、日本と同じく、インドの地でもよく唱えられていたものと思われます。  
 さて、「讃仏偈」は、阿弥陀如来の前身であります法蔵菩薩がおっしゃった言葉として『大経』のなかに出てきます。それは、四字四行の二十の偈文からなり、読経時間は十分ほどの短いものであります。しかし、その中身に目を向けてみますと、そこには法蔵菩薩の強い決意が述べられ、非常に尊く有り難いものであります。では、その内容を少しみなさまと見ていきたいと思います。  
 まず始めに、法蔵菩薩は師であります世自在王仏をほめ讃えられ、自身も師のような仏に成りたいと宣言されます。続いて、仏と成るために様々な修行を実践すること、また、あらゆる生ける者を救うためにお浄土を建てることを誓われます。そして最後「仮令身止(けりょうしんし) 諸苦毒中(しょくどくちゅう)我行精進(がぎょうしょうじん) 忍終不悔(にんじゅふけ)(もしも、わたくしが様々な苦しみのなかにこの身を置いたとしても、わたくしは〔仏と成るために〕精進して、耐え忍び、決して悔いることはありません。)」という一偈でこの「讃仏偈」が締めくくられます。  
 この最後の一偈から、法蔵菩薩の強い決意が伝わってくるかと思います。なぜ、法蔵菩薩はこのような決意をなされたのでしょうか。それは、仏と成って、われわれ、生きとし生けるものを、苦や煩悩で溢れたこの娑婆世界からお浄土に生まれさせるためであります。このように、われわれが慣れ親しむ「讃仏偈」には、生きとし生けるものを救おうとする阿弥陀如来のお慈悲の心が充ち満ちているのであります。
                                    合 掌



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